店舗案内

会社名 株式会社 Hych'S(株式会社 ハイチズ)
代表者 田代 博嗣
住所 〒410-0012 静岡県沼津市岡一色30-4
TEL055-943-6164

1台でも多くのバイクが長く現役で走れるように。バイカーズたちの大切なパートナー(愛車)であり続けるように。

当店では豊富なバイクパーツを取り揃えています。

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並行車両紹介

Z900 型式 Z1F 原動機型式 Z1FE

カワサキ・Z1は、1972年川崎重工業欧州及び北米市場向けに製造販売した輸出専用オートバイの型式名である。正式名称であるカワサキ・900 Super4よりも、型式名「Z1」の呼称が広く認知されているため、本稿では、「Z1」を標記として用いる。なお、後継機種であるZ900/KZ900も併せて掲載する。いわゆる「Z1」の系譜は、1972年から1976年にかけて製造販売していた。 

  • 1960年代後半の川崎重工業(2輪車製造部門、以下カワサキ)の販売を支えていた北米市場では、燃費の悪い2ストロークを嫌い4ストロークを好むようにユーザーが変化していた。そのため、2ストロークのスポーツ車が主力だったカワサキは、当然ながら業績が悪化していた。
  • 当時のカワサキでは、大型オートバイ(現在のスーパースポーツに相当)と言えば2ストローク500ccのマッハ(空冷並列3気筒)だけで、4ストロークと言えば、経営悪化で吸収合併したメグロ(目黒製作所)の流れを汲む650cc並列2気筒OHVの「W1」系しか持っていなかった。
  • スポーツ走行に適さない「W1」系では、同業他社に勝負できないため、市販車として世界初になる空冷並列4気筒の「N600」型エンジンの開発に取り組んでいた。市販に向けて開発が進んでいたものの、1969年ホンダから市販車初の空冷並列4気筒エンジンを搭載した"CB750FOUR"が発表された。
  • 結果的に先を超されたカワサキは、この「N600」エンジンの開発を急遽中止した。ホンダ同様に北米市場を強く意識していたこともあり、これを受けて車体デザインや動力性能等において全面的に企画を見直しが行われ、排気量を上げた900cc並列4気筒DOHC(開発コード「T-103」、後の「Z1」)へ変更された。
  • この「Z1」の開発は、作戦名「ニューヨークステーキ作戦」と名付けられた。当時の北米では、多気筒をステーキ、単気筒をロブスターと俗称を用いていたことからカワサキの本拠地(兵庫県)から神戸牛の特上ステーキ「Z1」を北米市場に提供しようという意味である。
  • 後発の利を生かした設計で、DOHCの採用以外に乗車時の足付き性に配慮する等で、商品性の向上を図った。事前のメディア対策も功を奏したため、販売成績も好調で、これにより1968年の H1(マッハIII、2ストローク500cc)及び1971年のH2(マッハIV、2ストローク750cc)から出発した「高性能・大型車のカワサキ」のイメージが北米及び欧州で定着した。
  • ZAPPER(ザッパー)とは「ZAP(風切音)」から派生したもので、カワサキが想定したオートバイ分類の中の1つである。スタイルが良く、軽量・軽快で加速性に優れることを身上とし、「シグナルグランプリ」(信号-信号間の競争)に強いといった特徴を有するもので、カワサキはこれが当時の北米マーケットにおける最大要件であると分析していた。分類のもう一方に位置する「TOURING CYCLE(長距離用で直進性や乗り心地を重視する)」は、後の "LTD" シリーズで商品化されたが、これは Z1 のコンセプトとは異なるものである。
  • Z1 以前の H1(マッハIII 500、1969年)や H2(マッハIV 750、1971年)も典型的 "ZAPPER" である。また、1976年の Z650シリーズ も Z1 の ZAPPER 属性をさらに特化させた(かつ操縦性も向上させた)ものと考えられる。
  • その後1976年にZ900、1977年にZ1000とマイナーチェンジを繰り返されていった。本稿では「903cc、4本マフラー」の機種を一つの世代として記述し以降の機種は別稿(Z1000Z1000MKIIZ1-R/Z1R-II 他)に委ねる。
  • 上記2本マフラー化されたZ1000発売後、4本マフラーの旧モデルをピカピカに磨きこみ、エンジン調整等を行って完全な状態に整備して自慢をし合うことが流行し、北米での中古車価格が暴騰した。これはこの当時、トルクの向上とクランクシャフトの見直しによりエンジンフィールがマイルドになったZ1000に対し、旧モデルの方が速いという噂話への市場の反応と考えることもできるが、Z1の4本マフラーの商品力があったを示すエピソードともいえる。

Z750FX 型式 KZ750D 原動機型式 KZ750EE

Z750FX(ゼットななひゃくごじゅうエフエックス)とは、川崎重工業が製造していた総排気量750 ccクラスのオートバイである。

概要[編集]

1973年の750RS (Z2) 登場以降、1977年モデルより輸出仕様 Z1000 が2本マフラー化された際でも日本向けのみは4本マフラーのスタイルを堅持してきた(1976年 - 1978年モデルの Z750FOUR )が、1979年の Z1000MKII が新たな旗艦として登場したのを機に、共通コンセプトとした直線イメージを強調したスタイルとなった。外装はタンク、シート、サイドカバーからテールカウルまでこれまでの曲線で構成されたライン(いわゆる丸Z)から直線を基調としたデザインに一新、エンジンは外見的には角型のカムカバーが採用され、内容的にはフルトランジスタ点火機構および自動カムチェーンテンショナの採用、およびジェネレーターコイルがインナータイプに変更されるなどした。

外観その他各種の変更により78年モデルのZ750FOUR(D1)からは大きくイメージが変わったが、型式上はZ750D (1) のマイナーチェンジ車となり、エンジン出力などに変更はない。旗艦であるZ1000MK II と 国内版のZ750FX の外見上の相違点はモデル名を示すサイドカバーのエンブレムのほか、排気マフラー端部のフィニッシュの違い、仕向地によるリヤウインカーの位置やリヤフェンダーの長さ程度で、遠目には識別しにくい。

Z2E型エンジンは基本的に同じブロックのまま、既に5年以上経過しており、また、車重的にも過大であったことが災いし、Z750FXと同時期発売のCB750Kおよび翌1979年6月発売のCB750Fといった4バルブ新エンジン搭載車とは動力性能で勝負にならず、さらには2バルブエンジンのスズキGS750Eに対しても劣勢という状況であった。後年、Z2E型エンジン搭載車は、その当時ライバルであり、かつ動力性能的には勝っていた上記車種に対して中古車市場において高値を付けることになるが、現行車の時代にはこれを予期する者はわずかであり、販売成績も芳しくなかった。

CB750F 型式 RC04 原動機型式 RC01E

CB750Fは、ドリームCB750フォア(1969年-)の系譜を受け継ぐCBナナハンの中核モデルとして、1979年6月に発売された。型式名称は、RC04。排気量748ccの空冷4スト直列4気筒DOHC4バルブエンジン(68ps)をダブルクレードルフレームに搭載した、「走りに徹したスポーツモデル」(当時のプレスリリースより)だった。そのために、4into2の集合マフラーや、低めのセパレートハンドル、トリプルディスクブレーキ(フロントダブルディスク)、可変式の減衰力調整機構付きFVQダンパー(リア)などを採用し、アルミコムスターホイールにチューブレスタイヤが組み合わされていた。マイナーチェンジを受けながら進化し、1982年には、派生モデルとしてCB750Fインテグラも登場した。なお、CB750Fの輸出用モデルは、CB900F。当時、日本国内で正式に販売されるバイクの排気量は、750ccが上限だった(この規制は1990年に撤廃された)。


ゼファ750 型式 ZR750C  原動機型式 KZ750EE

カワサキ・ゼファー(ZEPHYR)とは、かつて川崎重工業が製造販売していたオートバイであり、排気量別にシリーズ車種として製造されていた。

ゼファーとは「西風」である。かつてのZシリーズを想起させるZで始まる英単語を命名するにあたり、川崎重工業の二輪車製造拠点工場である兵庫県明石市から吹く業界への新風となる様にとの願いを込めて名付けられた


概要[編集]

1989年レーサーレプリカ全盛期に、カウルなしの懐古的なスタイルを前面に押して登場した。これがフルカウル以外の選択肢を求めるユーザーに受け爆発的な売れ行きを見せ、「ネイキッドブーム」の立役者となる。メーカーによる自主規制の上限値を意識しない出力設定は、過熱しすぎていたカタログスペック競争に一石を投じることとなり、ユーザーのバイク選びのスタイルが変わるターニングポイントとなった。

このゼファーのヒットは、レプリカブームにおける販売不振により撤退も検討されていた川崎重工業の二輪車事業を、同社の大きな収益源に生まれ変わらせる原動力ともなった。

商標としてのZEPHYRは、アメリカ自動車メーカーであるフォード・モーターが自社製品(自動車)用として既に取得・使用 (フォード・ゼファー/マーキュリー・ゼファー)していたが、川崎重工業としてはどうしてもこのモデルにZEPHYRと名付けたいためにフォードとの交渉を行い、名称の使用権を得たという経緯がある。それまでの国内二輪メーカー四社の製造するオートバイでは、燃料タンクのメーカーロゴとサイドカバーの車種名という配置が一般的な表記であったなかで、それとは逆に燃料タンクに車種名「ZEPHYR」とサイドカバーにメーカーロゴ「Kawasaki」を配したデザインも、当時は非常に新鮮であった。

当初は400 ccモデルのみの計画であり、発売と同時に大量のバックオーダーを受けた際にも、「750 ccモデルは出すつもりはない」というリリースがオートバイ専門誌に掲載されたが、日本国外からの要望も強く、1990年に750 ccモデルの開発が開始し[注釈 1]、続いて1100 ccモデルの開発も開始して、1992年に発売された。結果的に、どちらもロングヒット車種となっている。750 ccモデルは、大型自動二輪の教習車としても用いられている。

400 ccクラスでは、他社のネイキッドバイクに対抗するために4バルブ仕様のZEPHYRχ(ゼファーカイ・399 cc・53馬力)が1996年登場したが、2バルブ仕様の初代モデルも2年ほど並行してラインナップされ続けた[1]

2008年9月に自動車排出ガス規制が強化されることが決定したことから、750 ccモデル・1100 ccモデルとも2007年をもって一足速く販売終了となり、Z-1Z-2の初期型モデルを髣髴させるグラフィック・パターンの「ファイナルエディション」が発売された[2][3]

400 ccモデルのゼファーχについては、規制強化後の2008年9月に生産終了が公表され、上位モデルと同様のファイナルカラー仕様が2009年3月に発売された。